コンビニ 若者言葉を聞く 鬼のように 鬼のようにとは何を意味するのか?

若者言葉の鬼のようにを解説させて頂きます。

先日、とあるコンビニエンスストアで買い物をしていたら、若い10代のカップルが入って来て、「いや〜、こないだの愛知万博は鬼のように込んでたな」「せやな、ゲロ込みや!」

・・・思わず絶句(笑)
またまた生の若者チックな言葉を聞いてしまいました。強調するときに「鬼のように」
とか、「ゲロ」なんて言葉を使うんですね。

このブログの中でも、既に「ガン黒」「ウーロン茶」「やばい」等々のお話をしてきましたが、
若者文化とは本当に色々な方面に飛び火していくんですね。
言葉をちょっと拝借して他の言葉にくっ付けてみたり・・・。

今朝の新聞に少し考えさせられる記事が掲載されていました。
一言で説明させて頂くと、若者にとってコンビニは縁側みたいなものである、ということです。

昔の家のつくりでは、隣りの家からも目の届く範囲に「縁側」というものがありました。
今の住宅事情では、この縁側が激減していっているように思われます。
核家族化が進み、親の視線が気になるようになった若者の行く先は「コンビニ」へ・・・

そこには食の欲求を満たしてくれる物があふれています。
一昔前までは、「家でしか」食べることが出来なかったのです。
それが今では、24時間空いているコンビニで手軽に食にありつけます。

食のみならず、生活必需品もたくさんの種類が並べられています。
コンビニ空間は全くの孤独ではなく、たとえ顔を覚えられていても、
素知らぬふりをしてくれる店員さんがいます。
寂しくなって誰かと会話がしたくなれば、携帯電話があります。
ちょっと前までは、電話といえば家の居間の近くにしかありませんでした・・・。
親の気配を感じながら電話で話をしたものです。

若者にとって、コンビニはまるで縁側のような憩いの空間なのです。
全くの孤独を感じることもなく、付かず離れずの「希薄」ではあるけれども、
人との縁を感じることが出来る空間・・・。

日本には昔のような「家」が無くなりつつあるんです。
これは切実な問題であると思われます。歴史が証明してきているように、家の崩壊は
間違いなく国家の崩壊へとつながっていきます。
大袈裟なことではなく、ほぼ例外なく、同じようなことを歴史は繰り返しているのです。

そもそも核家族化を進めようとしたのは、アメリカの戦後政策の一環であったと言われています。
こんなところにも、米国との歴史を垣間見ることができます。

以前の記事にも、コンビニの店舗当りの売り上げが奈良県はNo.1であるというお話をしましたが、
通勤時間の長いサラリーマンに代表される「深夜族」を助長し、若者の駆け込み寺の
ような存在のコンビニエンスストア。

コンビニ発展の裏では、家の問題が密接に関わっているような気が致します。

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